自分が思っても見なかったことを他人が言ったり、行動したりすると、「裏切られた」と感じます。
あなたも生きている以上、何度もそういう経験があると思います。
裏切られたと思った時から「アイツはどうしてそんなことをしたんだろう!」と相手を責め続けます。
何度も何度も。
しかし、考えてみてください。
相手にも意図(エゴ)があり、そうしたほうが相手自身にとってメリットがあるからそうするのです。
あなたのエゴもそうです。相手が自分を裏切るようなことをして欲しくないという思い(=エゴ)があるはずです。
「自分のエゴ」と「相手のエゴ」のぶつかり合いの結果、そうなっているだけです。
あなたのエゴ、相手のエゴ、どちらに転んでも、これはエゴにとってかなり美味しい話になります。
それ自体、エゴが作り出したものなんですから。
では、裏切られたと思ったらどうすればいいのでしょうか?
自分を裏切った相手は何もしてないと思うことです。
いたってシンプルです。
それに反応するということは、エゴを選択してしまうということです。
相手が何もしていないと思う、キリスト教の相手を赦すというのも同じです。
あなたのエゴも相手のエゴも本来は無なんですから。
この何も思わない、赦すということは、裏切られたときだけでなく、自分に嫌なことが降り掛かったときに使える万能なツールです。
嫌なことを感じたときには、
す〜っ、は〜っ、
と深く呼吸をしてから、無心になる習慣を身につけていってください。
当然、最初はエゴが邪魔をしますのでなかなかできませんが、根気強くやっていってください。