人格とは明治時代にパーソナリティ(Personality)の漢訳として作られた造語だそうで。

そもそも西洋の心理学から入ってきた比較的新しい言葉です。

人格は生まれ育った環境やそこで関わり合う人によって形成されていきます。

仏教においては縁によってその人の人格が備わっていくということでしょう。

劣悪な環境に生まれ、窃盗や殺し合いが日常茶飯事の場所で暮らすならば、それが当たり前となり、価値観、道徳観は一般的に私達が考えるものとは大きく変わってきます。

三つ子の魂百までといいますが、そういった場所で培った人格はなかなか変えることはできないでしょう。

 

ではどうすればいいのか、

 

それは自分の人格を無視するということです。

無視する??

人格とは、私に言わせれば、エゴが私達を、その環境に適応させ、生きながらえさせるために作り出したものなのです。

でも、自分はその人格そのものなのでは??

そこを敢えて無視するのです。

西洋では人格、パーソナリティこそが自分が自分として成り立たせているものだと考えられていますが、そうではありません。

はっきり言って、人格はエゴなのです。

あなたの人格(パーソナリティ)は寄生虫である、エゴがその環境に適応し生きていくために上手くあなたをカスタマイズ、チューニングした結果なのです。

あなたはエゴがつくった映画をみている

何度も言っている通り、この世はエゴが作り出している映画のようなもので、あなたは配役を決められ、エゴの台本どおりに演じているのです。

映画が終われば、また新たな配役であなたの出演する映画が始まります。

それを仏教では輪廻転生と言います。

エゴの台本(シナリオ)を演じ続ける限り、それは続きます。

ちなみに台本に何が書かれているかはあなたは知りません。知ってしまうと、あなたを不安にさせることができなくなるからです。

しかし、無になることで、この台本を書き換えることができます。

自分に嫌な出来事が起こったなら、そこに対して怒るのではなく、これはエゴが自分を罠にはめるために作り出した出来事だと思い、それ自体がなかったことにしてみることです。

四無量心を実践してみてもいいでしょう。

そうすると、エゴの台本ではなくなってきます。

その代わりに、今度は違った台本になっていきます。

しかも一瞬にしてです。

そこからは自分が思っても見なかったことが起こり始めたりします。(起こらないこともありますが、必ず、いずれ起こります)

自分たちは、今の台本はこれまでの流れがあって、こうなっているとも思っています。

ですが、エゴに従わなければ、ガラッと変えることもできるのです。