人の頭には、自我(エゴ)が絶え間なくガンガン鳴り響いています。
ご飯を食べているときも、ゆったりお風呂に入っているときも。
そこから少し離れてみるわけです。
ふと意識してみることです。
「あー、今はエゴが頭に鳴り響いていると」
結論、エゴは自分がどうしたいのだろうと考えてみてください。
美味しいものを食べたい、お金持ちになって欲しい物を好きなだけ買いたい。女性と触れ合いたい。などなど・・・。
エゴは自分の欲が満たせることを目的として、あなたが生きる目的はこれであると信じ込ませ。あなたを洗脳しています。
欲には、今すぐ達成できる欲もあれば、すぐに達成できない、達成不可能と思えるような欲があります。
たとえば、今日の夜は焼き肉を食べたいと思えば、財布の中に数千円あればそれはすぐに達成することができる欲です。
逆に、タワーマンションの最上階が欲しいとか、フェラーリが欲しいというのは、なかなか達成できない欲になります。
なかなか達成できない欲については、それへの思いが強ければ強いほど、苦悩に変わっていきます。
その苦悩をエゴはあなたに起こさせることで、いまの現状が現実である、リアルであると思わせます。
この世は幻想であると、先人の偉人たちは口を揃えて、私達に伝えてくださってます。
ではどうすればいいのか?
どうすればエゴの術中にハマらずにすむでしょうか。
エゴは、人は苦悩すべきちっぽけな存在であるべきだと考えています。
そもそもエゴとは何者なのでしょうか。
エゴはそれ単体としては、何も意味をなさないものです。
しかし、エゴも生きながらえる必要があります。
寄生虫を思い起こしてみてください。寄生虫はそれ単体では生きていくことができません。宿主を探し、そこから栄養を取ることで、生きながらえることができます。
では、寄生虫は何のために生きているでしょうか?
寄生虫はただ死にたくないだけです、ただ生きながらえたいだけです。
エゴもそれと同じです。ただ生きながらえたいだけなのです。
人は、寄生虫であるエゴに自分を支配されているだけです。
エゴはあなたに色々な欲を思い起こさせたり、トラブルを引き起こしたり、そして不安にさせることで、エゴのことを思い出させないように騙しつづけることが仕事です。
だから、自分はエゴに騙されているということを思い出すことを1日の中で率先してやってください。
それがあなたがやるべき最優先事項なのです。
今日が締め切りで仕上げないといけないあの仕事じゃないのです。
今の思考がエゴなのかどうなのかどうわかるのでしょうか?
いま考えていることは100%、エゴが考えていることです。
ではどうすればいいのでしょうか。
それはエゴではない思考をすればいいのです。
じゃあ、どうやって。
無を感じることです。無心になることです。
瞑想や座禅、なんだって構いません。まずはエゴの思考から離れることです。
一つ、イメージをしてみてください。
豊かな川が流れています。そこにはいろんな岩があります。川は岩にぶつかってもそこで止まることなく、ザブザブと下流に流れています。
途中、滝もあるでしょう。しかし、せき止まることなく、川は流れていきます。
今のエゴの意識がどうであるのか、考えること無く、もし何か考えが浮かんでも、ただ川のように流していってください。
その間は、エゴで物事を考えなくなってます。
しかし、エゴはすぐに、あなたの変化、つまり宿主であるあなたが離れているのを感じとり、すぐにあなたの思考をエゴの思考にすり替えていきます。
それは本当にすごいトリックです。こちらが拒否をしていても、するりと抜けて思考をすりかえ、塗り替えていきます。
思考をすり替えていくだけではなく、いろんなトラブルも発生させることをします。仕事上のことであったり、家庭であったり。
しかし、惑わされないでください。それはエゴがあなたから離れたくないために現実だと思わせるために、引き起こしているただの幻想なのです。
エゴは寄生虫であり、あなたから離れると死んでしまいますから。
初めはエゴの考えから離れることは難しいでしょう。
なぜなら、「エゴの考え=自分」と思っていますから。あなたは意味がわからないと思いますし、実際のところ、エゴも意味がわかっていません。
物心がついてから、エゴはずっと騙し続けているのが当たり前になっているので、いまさら、離れることは無い、あなたと一心同体であると何の疑問も持たずにいます。あなたもそうです。
エゴが完全に離れた状態、それは無の状態(=あるがままの状態)です。
悟りともいえます。
では無の状態(=あるがままの状態)になればどうなるのか。
そこには心の平安しかありません。
この境地に達することがあなたの今回受けた生の目的です。
お金をたんと稼ぎ、貯め込むこと、いい女性を抱くこと、幸せな家庭を築くことではありません。
この文章をここまで興味を持って読んできたということは、そうではないと薄々感じてるからでしょう。
いまから約、2500年前、人類の叡智が究極に達した時期、インドではブッダ、中国では孔子、ギリシャではソクラテス。そしてその500年後に誕生した、キリスト。みんな気づいていました。
自分はこの世のことを何も知らない、何も知る必要が無い。この世には何も無いのだから。
ただ心の平安を保ち続けること。
キリストにおいては、神の国に還ること、浄土真宗においては浄土に往生すること、です。
これが真実であると、信じること。
これだけなのです。